Saya Blog

好きを語って成長したい!

対人恐怖症が理解しづらい方へ

忘れていた記憶は些細なきっかけで蘇るものです。

対人恐怖症について、きっかけの一部とその恐ろしさについて書き留めたいと思います。

 

これは高校1年の時です。

期待される喜びと、その喜びを上回っていく不安。

仲間から向けられる冷たい視線。

 

俺には敵意も嫉妬もありません。

自分より優れていると思ったものにはただ尊敬し挑戦したいと思った。

自分にも多少の自信があったのでしょう。

 

当時、一部の大人は認めてくれたが、

それをよく思わなかったのは尊敬していた仲間でした。

何が面白くないのか、俺には不思議で理解できませんでした。

自分の気持ちとは裏腹に他人から向けられる感情は

冷たくじわじわと刺さっていったのです。

 

 

全ての人間関係がそうでした。

 

 

どれだけ素直に接しても、どれだけ誠意を表しても

帰ってくるのは理不尽で不可抗力な負の感情で

当時の俺には全てが敵に見えていました。

 

 

 

対人恐怖症というのは、名前からイメージがつきやすい為

まぁ大体の人が「なんとなくは分かる」と思うでしょう。

 

実際は言葉では伝えられない程、エグいものです。

 

「人」の存在を感じた際に起きる

不安、恐怖、動悸、震え

…というと分かりづらいですよね。

 

言い方は悪いですが

テロリストの捕虜になり首にナイフを突きつけられているような気分です。

 

ただの何気ない日常会話を投げかけられたとします。

 

すると自分でも理解できない不安と恐怖

制御できない震えと、なぜか発せない声・言葉

向けられる視線と、何か反応を見せなければならないという強迫観念が襲います。

 

何が食べたいか聞かれただけなんです。

ですがそれに返事をするにはあまりにも厳しいのです。

 

さらに厄介なのが、日常生活において人と接触しないのは不可能に近いという事です。

 

今、あなたの視線、距離、空間、状況、

自分を中心とした目に映る範囲、感じ取れる範囲にどれだけの人間がいるでしょか?

 

仮に学校や仕事、施設や家庭など自分がそこにいる何がしかの理由がある状況で

「人と全く接触しない」というのができたとします。

 

いつまで続くでしょうか?

 

当時の高校生にそれができたでしょうか?

 

死ぬということ以外で、この不安や恐怖から逃れられる術を考えらたでしょうか?

 

「なんとなくは分かる」と思っている人がここまで考えて対応なんてしません。

当たり前です。

何が食べたいか聞きたい、ただそれだけの事です。

ですが、ただそれだけの事で人は死にたいという考えに至ってしまうのです。

 

当時の俺は、そんな「人間」達が気持ち悪くて仕方がなかった。

自分の心臓の音や、異物を飲み込む感触。

他人が歩行する足や発せられる声、何もかもが生理的に不快で仕方なかった。

そして、自分にも同じように四肢があり鼓動を感じ不快な生物と一緒だと嫌でも感じさせられた。

 

ないもかもが、言葉では表せない程に気持ちわくる不快で怖くて嘔吐する日々だった。

 

もちろん、栄養なんか接種する事は不可能で

点滴なしでは倒れてしまう身体になった。

 

もう言うまでもなく、治療が必要な「病気」なのです。

 

ここまで言えば少しは伝わったと思いたい。